少女革命ウテナ

ジャッジ5

○(いきなり)レビュー
この作品は1998年にアニメーション、コミックスで人気を博したウテナの映画版である。
まず言っておくと、この話に起承転結はない。
ただひたすら幾原邦彦監督のシュールな世界観が展開され、視聴者は己のイマジネーションを駆使して作品を消化するしかないのである。

従って話の展開を求める一見さんには既に訳のわからんアニメーションであるが、エヴァンゲリオン程確信犯的に話をややこしくしているものでもなく、一旦自分のウテナ観を持てばそれなりに評価できる作品である。
客観的な評価をすれば、セル画のクォリティーはピカイチ。
寺山修司の演劇で使用された「絶対運命黙示録」も健在で、闘技場での決闘もなかなか胸踊るものがある。

そしてウテナは薔薇の花嫁、姫宮アンシーを手に入れて世界を革命する事になるが、ここの部分の解釈が非常に困難である。
仕方がないので氷川竜介氏の言を拝借しよう。

>革命とはなにか?それは世界を変えることである。世界を変えるために必要な事はなんだろうか?
>それは「自分にできないこと」の正体を知ること。正体とは「できる」と思いたいのに思えない心の闇である。
>その暗喩として示されるのが「世界の果て」だ。
>ウテナは「女の子でありながら王子様になって女の子を救いたい」、
>というのが物語全体で語られている事だ。
>一見無理に思えるが、できると思ってさえすれば、いつか方法が見つかり、できる。
>誰だって世界は革命できる。

ウテナは最後、アンシーと供に学園を離れ外の世界に旅立つ事になる。
アンシーのできなかった事は、兄や学園といった束縛から自らを開放することであり、ウテナのできなかった事は、恐らくアンシーをそこから救うことだったので、この二人は最後に世界を革命した、ということになるのだろう。

最後画面に広がる光陵とした景色は、これからの二人の試練を物語ると同時に、新たな世界観を示すものでもある。
しかし問題になってくるのは、世界を革命した後の世界が、二人にとってどのようなものになるかなのだ。
ここは視聴者それぞれの想像力に拠ってくることになろう。

とさんざん難しい事を書いてしまったが、筆者がウテナに引かれる箇所は、やはり決闘(デュエル)シーンである。
劇中でウテナは、西園寺と有栖川としか決闘しないが、筆者は個人的に西園寺に引かれるのでそれで良し。
あぁ、いいよ、西園寺君。
西園寺君との決闘がなかったらこの映画のジャッジは4ですなぁ。
おかげで筆者も久々に薔薇の刻印を指にはめることに・・・。(バカ)
できれば学園長と生徒会長の、あの深夜のドライブシーンをもう一度映画で観たかった・・・

世界を革命する力を!

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